コラム

Eddie would go

ハワイには良い波を求めて毎年沢山のサーファーがやってきますが、彼らの中でエディ・アイカウ(Eddie Aikau)の名前を知らない人はいないのではないでしょうか。

日本ではあまり知られていないエディ・アイカウですが、ハワイに旅行で来た際に車のステッカーや、Tシャツ、帽子などに「Eddie would go」の文字を見かけたことがある人もいるかもしれません。

ハワイの伝説のサーファー、エディ・アイカウは1946年マウイ島でカフナと呼ばれるカメハメハ王朝の神官の家系に生まれます。

幼い頃からサーフィンをマウイの海で学んだ彼は1959年、家族と一緒にオアフ島に移り住みます。

16歳で働き始めたエディは初めて自分で得たお金でサーフボードを購入し、ますますサーフィンに熱中して行きます。



ライフガード時代〜世界有数のビッグサーファーへ

ビッグサーファーとして頭角を表し始めたエディはその腕を買われてワイメア・ビーチでオアフ島での初めてのライフガードとして人々の救助にあたることになります。

ライフガード時代のエディが救助した人は500人以上ともいわれており、時には高さが30フィート(約9m)以上にもなるワイメア・ビーチの波にも彼は決して怖じけることはなかったといわれています。

エディは1977年世界的なサーフィン・コンペティションであるデューク・カハナモク・インビテーショナル・サーフィン・チャンピオンシップスで遂に優勝を果たし、エディのトップサーファーとしての地位は揺るぎないものとなります。





ホクレア号

1978年、エディは古代ポリネシアの航海カヌーを再現した「ホクレア号」のクルーの一員としてタヒチへの航海へと出発しますが、ホクレア号は出航したその日にモロカイ島沖で転覆してしまうという危機に陥ってしまいます。

転覆したホクレア号で他のクルーと一晩を過ごしたエディは他のクルーを助ける為、たった一人でボードに乗り救助を求めて大海に漕ぎ出しますがそのまま行方不明となってしまい、その後他のクルーは無事に救助されますがその後の大規模な捜索にも関わらず、エディの姿を見つけることはついに出来なかったのです。

人の為に自らの命を賭けたエディの勇気は「Eddie would go」(エディなら行く)という言葉と共にハワイの人々の中で今も語り継がれています。

また、エディの半生を記した書籍やドキュメンタリー映画なども製作されており、2000年にはエディの家族によって「エディ・アイカウ財団」が設立され、ハワイ文化の保護活動やハワイの若者達への教育事業を通じてエディのアロハ・スピリットを広める活動が行われています。





「The Eddie」

サーファーとして、ライフガードとして、一人の家族を愛する人間として人々の為に生きたエディ・アイカウを記念したサーフィン・コンペティション「The Quick Silver in Memory of Eddie Aikau」(通称:The Eddie)が1986年から彼がライフガードとして活動した思い出の地、ワイメア・ビーチで開催されています。

このザ・エディ、通常のサーフィン・コンペティションと異なり、波の高さが20フィート(約6m)以上にならないと開催されないという珍しいコンペティションで、実は今までに数度しか開催されておらず今年(2016年)の2月に開催された第6回コンペティションが実に6年ぶりという地元の人でもなかなか見る事のできない貴重なコンペティションなのです。

時にはビルの4階建ての高さにもなるという大波にコンペティションに参加するサーファーは正に命懸け、ビーチから見てもその迫力は他のサーフィン・コンペティションとは比べものにならないスケールと言われています。

今年はこのコンペティションにエディの実弟でプロサーファーのクライド・アイカウも参加し、地元のみならず世界中のサーファー達を歓喜させました。 ハワイのヒーローであり伝説のサーファー、エディ・アイカウ。次にハワイへ旅行することがあったら是非「Eddie would go」の文字を探してみてください。

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